2010年 08月 13日
水堂陣屋 |
寛永20年(1643年)、尼崎城の青山幸成から3000石を与えられた幸通によって居城として築かれたことから始まる。その後、水堂青山氏は摂津国内で2500石・下総国内で3000石を加増され、そのまま転封することなく明治維新を迎えた。代官屋敷は明治期まで青山氏が在城していたが其の後、大正・昭和に行なわれた鉄道建設や道路整備によって移築され、当初南を正門としていたが西正面に改築したり建物を北側に移す等、度々の移転後・平成元年12月に解体されたらしい。僕自身が平成22年8月11日に訪問してみると門も何もなく「水堂代官屋敷」という看板はあったが何もなかった。その土地には一般の人が住んでおり、その住人の話によると20年位前(平成2年頃)に門を取り壊したという話が聞けた。
今は看板が残るのみ。
所在地:兵庫県尼崎市水堂1-23-4
今は看板が残るのみ。
所在地:兵庫県尼崎市水堂1-23-4
by ka_zu_bon
| 2010-08-13 18:21
| 歴史
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