2011年 11月 20日
なんばパークス |
なんばパークス(NAMBA PARKS)は、大阪府大阪市浪速区難波中2丁目の南海電気鉄道難波駅の南側にある「緑との共存」を大きなテーマとする大型商業施設。
○概要
1998年に解体された大阪球場の跡地に、南海電気鉄道が「未来都市なにわ新都」をコンセプトとして再開発を実施。2003年10月7日に第1期部分が、2007年4月19日に第2期部分が開業。なお、2005年4月1日からは、同鉄道の完全子会社「南海都市創造」が営業を行っていたが、同社は2010年10月1日に、南海電気鉄道に吸収合併され解散し、以後、再び同鉄道による直営となっている。建物はキャナルシティ博多や六本木ヒルズを手がけたアメリカ人のジョン・ジャーディ(Jon Jerde)の設計。地球上の大峡谷に似せた建物の外観は雄大で、壁面は壮大な時間と地層を模している。第1期、第2期エリアを含めて彼の建築作品は完成となる。イメージソング「Loving Life」を手がけるなど、葉加瀬太郎がイメージング・プロデューサーとして参加している。また、南海グループが高島屋と共同で行っている難波地区のPRキャンペーン「Lov↑ng NAMBA」(ラヴィング・ナンバ)の現在のマークも彼の手による。
○前史
・難波御蔵
1732年に享保の大飢饉が起こると、江戸幕府が西成郡難波村に災害救援用の米蔵を設置。天領から運上された米を貯蔵する幕府直轄の米蔵であることから、難波御蔵(なんばおくら)と呼ばれた。翌1733年には窮民対策も兼ねて、道頓堀から御蔵前に至る難波入堀川(難波新川)が開削された。1752年には難波御蔵の東方に天王寺御蔵(高津御蔵)も設置されたが、多湿で米の傷みが早いため、1791年に難波御蔵へ統合されている。新御蔵が増築されて規模が倍増した広大な難波御蔵は、浪華名所のひとつになっていた。
・大阪地方専売局大阪工場
1904年に日露戦争が開戦すると、戦費調達を主眼としたタバコの専売制が始まり、大蔵省専売局が明治以降使われなくなっていた難波御蔵を解体して煙草工場を設置。赤煉瓦造りの工場には2000人近い従業員が勤務し、難波駅周辺も急速に市街化したが、1945年の米軍による大阪大空襲で壊滅した。
・大阪球場
1950年に南海電鉄が煙草工場跡に南海ホークスの本拠地となる大阪球場を設置。1990年まで野球場として使用されたが、その後は住宅展示場などとして利用され、1998年に解体された。
○全体構造
施設全体は、大きく分けて「なんばパークス Shops&Diners」(商業棟)および「パークスタワー」(オフィス棟)の2つにより構成されている。
・なんばパークス Shops&Diners
フロア構造
地上10階、地下3階建て。地上部分は段丘状に建てられている。植栽を多用し、屋上部分は「屋上庭園 パークスガーデン」として3階から9階まで緑が広がる1期部分の屋上庭園には、約235種類、約40,000株の植物が植えられている)。1階部分には、隣接する商業施設「なんばCITY」南館との共同ショッピングモール「なんばカーニバルモール」がある。2階部分(キャニオンストリート)には、旧大阪球場のホームベースとピッチャープレートのまったく同じ位置に記念プレートが埋め込まれている。かつて数多くの名勝負がこの場所で生まれたのを記念したものである。2階イベントスペース「キャニオンコート」には、2007年3月に189インチの大型ビジョン「パークスビジョン」(松下電器産業(現・パナソニック)製「LEDアストロビジョンAZ-LE080Fシリーズ」を使用。同シリーズの屋外への設置は国内初)が新設された。3階から上のフロアには段丘状の屋上公園「パークスガーデン」が設けられている。約7万株の植物の緑が植えられ、都心で自然を楽しめる。なお、ガーデンの第1期部分については、財団法人都市緑化技術開発機構が主催する「第4回 屋上・壁面・特殊緑化技術コンクール」において、2005年10月25日付で「屋上緑化大賞・国土交通大臣賞」を受賞している。8階部分には「円形劇場」と呼ばれる野外イベントスペースがあり、その右側および観客席の階上には、「アーバンファーム」という貸菜園への出入口が設けられている。なお、2Fキャニオンコートから8F円形劇場に繋がるエレベーターの上には、「パークスムーン」という丸い銀幕があり、イベント情報や、「なんばクリエイターファクトリー」の塾生による動画アートなどを映していたが、2007年3月末に投影用プロジェクターが撤去され、現在は夜間照明が当てられている。
・第2期エリアの増築
2007年4月19日開業のなんばパークス2期エリアには、松竹とティ・ジョイ(東映グループのシネコン運営会社)が共同運営する、大阪市内第2位の規模のシネマコンプレックス(複合映画館)「なんばパークスシネマ」(11スクリーン・2,164席)が核施設として6~10階に入居し、さらに、高島屋が「なんばパークスT-Terrace by TAKASHIMAYA GROUP」という名称で、1~3階東側部分(延床面積約7,200平方メートル)において専門店街をプロデュースしている。その他、旭屋書店や日本トイザらスの日本独自業態なども入居している。2003年10月に開業した第1期の商業棟を南側へ拡張。2期の敷地面積は、11,000平方メートルで一期と合計で33,000平方メートル。投資額は200億円程度。これに併せて「屋上庭園 パークスガーデン」も拡張され、約240種、約30,000株の植物が追加された。これにより、第1期、第2期合計の屋上庭園では、約300種、約70,000株の植物が植えられていることになる。1~5階は物販、6~8階は飲食店舗が入居。8、9階には新たに3,500平方メートルの公園が整備され、屋上公園は計11,500平方メートルに拡大した。これらの屋上公園内をガーデン事務局スタッフの案内でゆったりと散策する「パークス・ガーデンガイドツアー」という異色の建物めぐりツアーも設定。なお、南側に隣接するヤマダ電機LABI1 なんばとは、2Fレベルでペデストリアンデッキによって直通している。また隣接地に分譲マンション「ザ・なんばタワー ~タワーレジデンス・イン・なんばパークス~」がパークス2期と一体で建設されている(分譲販売は終了)。
・パークスタワー
なんばパークスには、高さ149.65m、地上30階・地下3階のオフィスビル「パークスタワー」が隣接しており、通販生活の「カタログハウスの店」などのほか、大阪府立大学の社会人向けサテライト教室、コンビニエンスストア、薬局、医院などが入居している。なお、パークスタワーは2期目としての構想もあったが(パークス3期事業)、最終的には分譲マンション(ザ・なんばタワー)になった。
○沿革
1987年 - 南海電気鉄道、大阪スタヂアム興業、高島屋、株式会社ニッピ、クボタの5社により難波地区再開発事業研究会が発足
1998年11月 - 大阪球場の解体工事開始
1999年11月 - なんばパークス第1期部分の工事着工
2003年10月7日 - 第1期部分オープン
2004年10月6日 - 第1期オープンから1年。総入場者数は目標の2100万人を上回る、約2122万人だった。
2005年
4月1日 - 2004年5月10日に南海電鉄から分社化された南海都市創造が、なんばパークスの営業を担当開始
6月 - 4月から準備工事に入っていたなんばパークス第2期部分の本格工事開始
10月25日 - 「屋上緑化大賞・国土交通大臣賞」を受賞
2007年4月19日 - 第2期部分オープン。全館開業となる。
2008年4月18日 - 全館開業から。この1年間での総入場者数は目標の2100万人を大きく上回る約2920万人、売上高も目標の269億円を上回る約284億円だった。
2010年10月1日 - 南海都市創造が南海電鉄に吸収合併され解散
○概要
1998年に解体された大阪球場の跡地に、南海電気鉄道が「未来都市なにわ新都」をコンセプトとして再開発を実施。2003年10月7日に第1期部分が、2007年4月19日に第2期部分が開業。なお、2005年4月1日からは、同鉄道の完全子会社「南海都市創造」が営業を行っていたが、同社は2010年10月1日に、南海電気鉄道に吸収合併され解散し、以後、再び同鉄道による直営となっている。建物はキャナルシティ博多や六本木ヒルズを手がけたアメリカ人のジョン・ジャーディ(Jon Jerde)の設計。地球上の大峡谷に似せた建物の外観は雄大で、壁面は壮大な時間と地層を模している。第1期、第2期エリアを含めて彼の建築作品は完成となる。イメージソング「Loving Life」を手がけるなど、葉加瀬太郎がイメージング・プロデューサーとして参加している。また、南海グループが高島屋と共同で行っている難波地区のPRキャンペーン「Lov↑ng NAMBA」(ラヴィング・ナンバ)の現在のマークも彼の手による。
○前史
・難波御蔵
1732年に享保の大飢饉が起こると、江戸幕府が西成郡難波村に災害救援用の米蔵を設置。天領から運上された米を貯蔵する幕府直轄の米蔵であることから、難波御蔵(なんばおくら)と呼ばれた。翌1733年には窮民対策も兼ねて、道頓堀から御蔵前に至る難波入堀川(難波新川)が開削された。1752年には難波御蔵の東方に天王寺御蔵(高津御蔵)も設置されたが、多湿で米の傷みが早いため、1791年に難波御蔵へ統合されている。新御蔵が増築されて規模が倍増した広大な難波御蔵は、浪華名所のひとつになっていた。
・大阪地方専売局大阪工場
1904年に日露戦争が開戦すると、戦費調達を主眼としたタバコの専売制が始まり、大蔵省専売局が明治以降使われなくなっていた難波御蔵を解体して煙草工場を設置。赤煉瓦造りの工場には2000人近い従業員が勤務し、難波駅周辺も急速に市街化したが、1945年の米軍による大阪大空襲で壊滅した。
・大阪球場
1950年に南海電鉄が煙草工場跡に南海ホークスの本拠地となる大阪球場を設置。1990年まで野球場として使用されたが、その後は住宅展示場などとして利用され、1998年に解体された。
○全体構造
施設全体は、大きく分けて「なんばパークス Shops&Diners」(商業棟)および「パークスタワー」(オフィス棟)の2つにより構成されている。
・なんばパークス Shops&Diners
フロア構造
地上10階、地下3階建て。地上部分は段丘状に建てられている。植栽を多用し、屋上部分は「屋上庭園 パークスガーデン」として3階から9階まで緑が広がる1期部分の屋上庭園には、約235種類、約40,000株の植物が植えられている)。1階部分には、隣接する商業施設「なんばCITY」南館との共同ショッピングモール「なんばカーニバルモール」がある。2階部分(キャニオンストリート)には、旧大阪球場のホームベースとピッチャープレートのまったく同じ位置に記念プレートが埋め込まれている。かつて数多くの名勝負がこの場所で生まれたのを記念したものである。2階イベントスペース「キャニオンコート」には、2007年3月に189インチの大型ビジョン「パークスビジョン」(松下電器産業(現・パナソニック)製「LEDアストロビジョンAZ-LE080Fシリーズ」を使用。同シリーズの屋外への設置は国内初)が新設された。3階から上のフロアには段丘状の屋上公園「パークスガーデン」が設けられている。約7万株の植物の緑が植えられ、都心で自然を楽しめる。なお、ガーデンの第1期部分については、財団法人都市緑化技術開発機構が主催する「第4回 屋上・壁面・特殊緑化技術コンクール」において、2005年10月25日付で「屋上緑化大賞・国土交通大臣賞」を受賞している。8階部分には「円形劇場」と呼ばれる野外イベントスペースがあり、その右側および観客席の階上には、「アーバンファーム」という貸菜園への出入口が設けられている。なお、2Fキャニオンコートから8F円形劇場に繋がるエレベーターの上には、「パークスムーン」という丸い銀幕があり、イベント情報や、「なんばクリエイターファクトリー」の塾生による動画アートなどを映していたが、2007年3月末に投影用プロジェクターが撤去され、現在は夜間照明が当てられている。
・第2期エリアの増築
2007年4月19日開業のなんばパークス2期エリアには、松竹とティ・ジョイ(東映グループのシネコン運営会社)が共同運営する、大阪市内第2位の規模のシネマコンプレックス(複合映画館)「なんばパークスシネマ」(11スクリーン・2,164席)が核施設として6~10階に入居し、さらに、高島屋が「なんばパークスT-Terrace by TAKASHIMAYA GROUP」という名称で、1~3階東側部分(延床面積約7,200平方メートル)において専門店街をプロデュースしている。その他、旭屋書店や日本トイザらスの日本独自業態なども入居している。2003年10月に開業した第1期の商業棟を南側へ拡張。2期の敷地面積は、11,000平方メートルで一期と合計で33,000平方メートル。投資額は200億円程度。これに併せて「屋上庭園 パークスガーデン」も拡張され、約240種、約30,000株の植物が追加された。これにより、第1期、第2期合計の屋上庭園では、約300種、約70,000株の植物が植えられていることになる。1~5階は物販、6~8階は飲食店舗が入居。8、9階には新たに3,500平方メートルの公園が整備され、屋上公園は計11,500平方メートルに拡大した。これらの屋上公園内をガーデン事務局スタッフの案内でゆったりと散策する「パークス・ガーデンガイドツアー」という異色の建物めぐりツアーも設定。なお、南側に隣接するヤマダ電機LABI1 なんばとは、2Fレベルでペデストリアンデッキによって直通している。また隣接地に分譲マンション「ザ・なんばタワー ~タワーレジデンス・イン・なんばパークス~」がパークス2期と一体で建設されている(分譲販売は終了)。
・パークスタワー
なんばパークスには、高さ149.65m、地上30階・地下3階のオフィスビル「パークスタワー」が隣接しており、通販生活の「カタログハウスの店」などのほか、大阪府立大学の社会人向けサテライト教室、コンビニエンスストア、薬局、医院などが入居している。なお、パークスタワーは2期目としての構想もあったが(パークス3期事業)、最終的には分譲マンション(ザ・なんばタワー)になった。
○沿革
1987年 - 南海電気鉄道、大阪スタヂアム興業、高島屋、株式会社ニッピ、クボタの5社により難波地区再開発事業研究会が発足
1998年11月 - 大阪球場の解体工事開始
1999年11月 - なんばパークス第1期部分の工事着工
2003年10月7日 - 第1期部分オープン
2004年10月6日 - 第1期オープンから1年。総入場者数は目標の2100万人を上回る、約2122万人だった。
2005年
4月1日 - 2004年5月10日に南海電鉄から分社化された南海都市創造が、なんばパークスの営業を担当開始
6月 - 4月から準備工事に入っていたなんばパークス第2期部分の本格工事開始
10月25日 - 「屋上緑化大賞・国土交通大臣賞」を受賞
2007年4月19日 - 第2期部分オープン。全館開業となる。
2008年4月18日 - 全館開業から。この1年間での総入場者数は目標の2100万人を大きく上回る約2920万人、売上高も目標の269億円を上回る約284億円だった。
2010年10月1日 - 南海都市創造が南海電鉄に吸収合併され解散
by ka_zu_bon
| 2011-11-20 23:44
| 建築物
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