2012年 12月 14日
信太森葛葉稲荷神社 |
信太森葛葉稲荷神社は、大阪府和泉市葛の葉町、JR北信太駅の西南約300mの市街地に鎮座する神社である。信太森神社、葛葉稲荷などともいう。本殿の外に拝殿・神饌所を有し、末社に楠木神社・厳島神社・白狐社を持つ。また狐塚があったとされる。安倍晴明所縁の社。文学・歌舞伎などで知られる『葛の葉物語』の舞台となった場所で、清明の母・白狐が住んでいたと伝えられる。豊穣・商売繁盛の他、学徳成就・良縁祈願・安産祈願・子宝・夜泣き・交通安全に御利益がある。
○縁起
信太森は、奈良時代の和銅元年旧二月初午の日に元明天皇が楠の神木の化身である白龍に対して祭事を行ったことを縁起としており、信太森神社はその神木を御神体とした神社として建立された。平安時代の中頃、冤罪で罷免された安倍保名(あべのやすな)が家名復興を祈願した帰り、猟師に追われた白狐をかくまった。そのため負傷したことが縁で白狐の化身である葛の葉(くずのは)と結ばれ、童子丸(後の安倍晴明)を授かる。葛の葉は我が子に正体を悟られ、悲しい別れとなったが、晴明は天皇の病気を治して出世し、保名の無実の罪を晴らして見事家の再興を果たした。この御利益により、信太森神社は信太森葛葉稲荷神社として知られることになった。葛の葉伝説の詳細は葛の葉を参照。
○歴史
708年(和銅元年) 創建。
1872年(明治5年) 村社格を受ける(和泉郡中村)。
1907年(明治40年)1月 神饌幣帛料共進社に指定。
1909年(明治42年)1月 泉北郡信太村大字中字茶の木原の村社「菅原神社(菅原道眞)」、字西之軒の同「大森神社(家船大神)」、大字富秋字堀の内の同「菅原神社(菅原道眞)」、大字尾井字雨降の同「小竹神社」、同大字々大門前の同「原作神社(不詳)」、大字上代字棗の同「八坂神社(須佐之男命)」、大字舞字村の内の同「菅原神社(菅原大神)」、大字上同太立會字水原の同「水分神社(水分神)」、大字上字十六善神の無格社「十六善神社」、同大字々東村裏の村社「菅原神社(菅原道眞)」、大字王子字王子の同「篠田王子社(篠田王子)」を合祀。
1915年(大正4年)6月23日大字尾井字天王の同舊府(ふるふ)神社を合祀(なお舊府神社は現在も尾井町2丁目に鎮座している)。
1932年(昭和7年)2月2日に阪和電気鉄道の葛葉稲荷停留場が最寄り駅として開業(現在の北信太駅)。駅西側を南北に走る参道があり、現在でも駅西側から神社に向かって鳥居が4基建っている。
○施設
・本殿
本殿は1898年(明治31年)建立、その後、火災や戦火にも逢わず残ったが、老朽化のため基礎・床・屋根など新しくし、2008年(平成20年)3月改修工事が完了した。本殿内には、白狐石や御霊石(みたまいし)の他に、和泉式部の歌碑や松尾芭蕉の歌碑などもある。
・千枝の楠
本殿左手にそびえる樹齢2000年といわれている楠の大木(2003年(平成15年)和泉市指定天然記念物に指定)。花山天皇が熊野行幸の際「千枝の楠(ちえのくす)」の称を賜る。また、清少納言の草紙に「森は信太森」と記して以来、和歌の題となっている有名な楠である。根本から二つに分かれていることから『夫婦楠』と呼ばれており、夫婦円満・良縁成就などのご利益があるとされている。葛の葉はこの神木から現れたと伝えられている。
・姿見の井戸
保名に助けられた白狐が、葛の葉に身を変えた際に、鏡に代えて姿を写して確認した井戸。葛の葉が無事にこちらの森に帰りついたことから、旅に発つ前にこの井戸に姿を写しておけば無事に帰って姿を写すことができると言われている。
・みたま石
本殿内に安置されている石。葛の葉が正体を知られ、保名の元を去ってこの社にたどり着き、悲しみながらこの石になったとされる。
・狐の碑
御影石に「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉 」の一文とキツネに戻った葛の葉の姿が彫られている。なお、当神社を氏神とする「葛の葉町」の神社横の地車庫のシャッターにもこの句が書かれている。
・子安石
子安石(安倍晴明遥拝の石)。子宝、安産を願う石。
・梟の灯篭
千利休作の灯篭。
・滝行場
本殿裏手に池と滝行場と呼ばれる石組みの行場がある。現在は滝が無く、小さい池がある状態。
・土産物
くずもち、交通安全のお守り、ツゲ製のキツネのストラップ、葛の葉伝説の本など。
○所在地
大阪府和泉市葛の葉町2番地
○例祭
初詣お神酒ふるまい
2月3日節分祭ごま木奉納
2月初午日初午大祭
3月上旬厄除けおかぐら奉納
10月の体育の日の前々日(宵宮)・前日(本宮)・体育の日(後宮)秋祭(だんじり祭り)
12月初めの午の日新穀感謝祭
○縁起
信太森は、奈良時代の和銅元年旧二月初午の日に元明天皇が楠の神木の化身である白龍に対して祭事を行ったことを縁起としており、信太森神社はその神木を御神体とした神社として建立された。平安時代の中頃、冤罪で罷免された安倍保名(あべのやすな)が家名復興を祈願した帰り、猟師に追われた白狐をかくまった。そのため負傷したことが縁で白狐の化身である葛の葉(くずのは)と結ばれ、童子丸(後の安倍晴明)を授かる。葛の葉は我が子に正体を悟られ、悲しい別れとなったが、晴明は天皇の病気を治して出世し、保名の無実の罪を晴らして見事家の再興を果たした。この御利益により、信太森神社は信太森葛葉稲荷神社として知られることになった。葛の葉伝説の詳細は葛の葉を参照。
○歴史
708年(和銅元年) 創建。
1872年(明治5年) 村社格を受ける(和泉郡中村)。
1907年(明治40年)1月 神饌幣帛料共進社に指定。
1909年(明治42年)1月 泉北郡信太村大字中字茶の木原の村社「菅原神社(菅原道眞)」、字西之軒の同「大森神社(家船大神)」、大字富秋字堀の内の同「菅原神社(菅原道眞)」、大字尾井字雨降の同「小竹神社」、同大字々大門前の同「原作神社(不詳)」、大字上代字棗の同「八坂神社(須佐之男命)」、大字舞字村の内の同「菅原神社(菅原大神)」、大字上同太立會字水原の同「水分神社(水分神)」、大字上字十六善神の無格社「十六善神社」、同大字々東村裏の村社「菅原神社(菅原道眞)」、大字王子字王子の同「篠田王子社(篠田王子)」を合祀。
1915年(大正4年)6月23日大字尾井字天王の同舊府(ふるふ)神社を合祀(なお舊府神社は現在も尾井町2丁目に鎮座している)。
1932年(昭和7年)2月2日に阪和電気鉄道の葛葉稲荷停留場が最寄り駅として開業(現在の北信太駅)。駅西側を南北に走る参道があり、現在でも駅西側から神社に向かって鳥居が4基建っている。
○施設
・本殿
本殿は1898年(明治31年)建立、その後、火災や戦火にも逢わず残ったが、老朽化のため基礎・床・屋根など新しくし、2008年(平成20年)3月改修工事が完了した。本殿内には、白狐石や御霊石(みたまいし)の他に、和泉式部の歌碑や松尾芭蕉の歌碑などもある。
・千枝の楠
本殿左手にそびえる樹齢2000年といわれている楠の大木(2003年(平成15年)和泉市指定天然記念物に指定)。花山天皇が熊野行幸の際「千枝の楠(ちえのくす)」の称を賜る。また、清少納言の草紙に「森は信太森」と記して以来、和歌の題となっている有名な楠である。根本から二つに分かれていることから『夫婦楠』と呼ばれており、夫婦円満・良縁成就などのご利益があるとされている。葛の葉はこの神木から現れたと伝えられている。
・姿見の井戸
保名に助けられた白狐が、葛の葉に身を変えた際に、鏡に代えて姿を写して確認した井戸。葛の葉が無事にこちらの森に帰りついたことから、旅に発つ前にこの井戸に姿を写しておけば無事に帰って姿を写すことができると言われている。
・みたま石
本殿内に安置されている石。葛の葉が正体を知られ、保名の元を去ってこの社にたどり着き、悲しみながらこの石になったとされる。
・狐の碑
御影石に「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉 」の一文とキツネに戻った葛の葉の姿が彫られている。なお、当神社を氏神とする「葛の葉町」の神社横の地車庫のシャッターにもこの句が書かれている。
・子安石
子安石(安倍晴明遥拝の石)。子宝、安産を願う石。
・梟の灯篭
千利休作の灯篭。
・滝行場
本殿裏手に池と滝行場と呼ばれる石組みの行場がある。現在は滝が無く、小さい池がある状態。
・土産物
くずもち、交通安全のお守り、ツゲ製のキツネのストラップ、葛の葉伝説の本など。
○所在地
大阪府和泉市葛の葉町2番地
○例祭
初詣お神酒ふるまい
2月3日節分祭ごま木奉納
2月初午日初午大祭
3月上旬厄除けおかぐら奉納
10月の体育の日の前々日(宵宮)・前日(本宮)・体育の日(後宮)秋祭(だんじり祭り)
12月初めの午の日新穀感謝祭
by ka_zu_bon
| 2012-12-14 21:30
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