2011年 09月 30日
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by ka_zu_bon
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2011年 09月 30日
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by ka_zu_bon
| 2011-09-30 20:01
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2011年 09月 30日
岩坪古墳は通称「お経台」山の北面山腹に位置し眼下には周囲を山に囲まれた町内最大の平地「キネンダ」を見下ろす所に位置している。昭和26年の夏、地元では「キツネ塚」と呼んでいた塚を試掘しようとして、落ち込んだ医師を取り除くと広い石室があらわれたので村当局に連絡された。以後大阪教育大学及び府教育委員会の手で発掘となり、能勢に古墳であること及び能勢での古墳発掘第一号となったのである。
○岩坪古墳の特徴 南面に開講した両袖の横穴式石室を持つ円墳で、石室はこの地域では稀に見る大きな規模を備えている。羨道部分は未発掘閉塞されたままで、府域でもここが初めての発掘となりその意義は大きかった。又玄室の西壁側の位置で土が焼けて赤くなり、中に土師器の甕片と消炭が多量に混入しあい、煤煙の付着もあり確実に煮沸が行われた形跡が確認されたことは後考の大きな問題提起となったのである。次に木棺直葬、人骨も出土し埋葬者は数体と考えられた。特にこの古墳からはおびただしい遺物の出土がみられたので次にあげる。 ○見つかったもの ・須恵器 提瓶1、横瓶1、平瓶5、台付短頸坩3、長頸瓶2、短頸坩10、高杯2、はそう1、蓋杯の身16、蓋杯の蓋11、杯1、?5、足付?1、甕2個体分、 ・土師器 椀1、杯1、?1、他に平安時代前後と思われる緑釉椀1、中国製の白磁椀、瓦器椀15 ・玉類 水晶製切小玉6、水晶製勾玉1、水晶製算盤玉1、碧玉製管玉6、玻璃製小玉6、滑石製小玉1、鍍金(鍍銀)の剥離した銅環3 ・鉄製品 刀子2、直刀2、鏃27、轡1、木心鉄板鋲留鐙 以上のように豊富な遺物であるが、これらは何度かにわたる埋葬による遺品の相違と考えられるし、さらに形式の前後が認められる。では本来の古墳副葬品として、後世の遺物を除いた種類と数量をあげてみると、 須恵器62点、武器類31点、土師器3点、馬具2点、玉類22点、耳環3点 以上のようにどれをとっても品目は豊富で、須恵器の数量や多様性、また多種類の玉類の存在、さらに非実践的な広峰式鉄鏃の大量副葬。これらを通して考えられることは、この古墳の被葬者の政治的社会的勢力の一端を十分にうかがわせるものである。発掘が終わった後地域住民によって鎮魂の碑「岩坪長者の墓碑」が建てられ又発掘された人骨を碑下深く納めておごそかに法要が勤修されたそうです。 所在地:大阪府豊能郡能勢町神山(慈眼寺に行く道沿いに小さな看板のようなものがあり、そこから山の中にある細い山道を入っていくとある。場所は分かりにくい) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 大体の場所です。写真にある小さな看板のあるところにあるメチャクチャ細い山道を上っていくとある。場所が分からない場合は「今西駐在所」で道を聞いてください。 ▲
by ka_zu_bon
| 2011-09-30 19:56
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2011年 09月 30日
ヒガンバナ(彼岸花、学名:Lycoris radiata)は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草。クロンキスト体系ではユリ科。リコリス、曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれる。学名の種小名 radiata は「放射状」の意味。
○特徴 全草有毒な多年生の球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある。その姿は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30 - 50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に包に包まれた花序が一つだけ付く。包が破れると5 - 7個前後の花が顔を出す。花は短い柄があって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並ぶ。花弁は長さ40mm、幅約5mmと細長く、大きく反り返る。開花終了の後、晩秋に長さ30 - 50cmの線形の細い葉をロゼット状に出す。葉は深緑でつやがある。葉は冬中は姿が見られるが、翌春になると葉は枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。つまり開花期には葉がなく、葉があるときは花がない。 ○分布など 北海道から琉球列島まで見られる。自生ではなく、日本には中国から帰化したものと考えられる。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、あぜや土手に植えたとも考えられる。また鱗茎は薬になり、救荒食でもある。そのような有用植物としての働きを熟知しての運搬の可能性も無視できない。人里に生育するもので、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのを見かける。なお、山間部森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里であったことを示すと見るべきである。また、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、雄株、雌株の区別が無く種子で増えることができない(遺伝子的には雌株である)。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。 ○近縁種 ショウキズイセン(鍾馗水仙 L. traubii Hayward)はこれに似た別種で、葉の幅が広い点などに違いがある。またこの種は結実する。他にシロバナマンジュシャゲ L. albiflora Koidz. は、ヒガンバナの白花に似ているが、花弁がさほど反り返らず、またやや黄色みを帯びる。葉もやや幅広い。一説にはショウキズイセンとヒガンバナの雑種であるとも。 ○有毒性 全草有毒で、特に鱗茎にアルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリンなど)を多く含む有毒植物。誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたる。水田の畦(あぜ)や墓地に多く見られるが、以下のような目的の為に人為的に植えられたためと考えられている。 前者の場合ネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物がその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように、 後者の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐため、ただしモグラは肉食のため、ヒガンバナに無縁という見解もあるが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まない。そのためにこの草の近くにはモグラが来ないともいう。有毒なので「農産物ではない」つまり年貢の対象外とされた為、救荒作物として田畑や墓の草取りのついでに栽培された。鱗茎は澱粉に富む。有毒成分であるリコリンは水溶性であるため長時間水に曝せば無害化が可能であるため、救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされた事もある。また、花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビルやアサツキに似ているため、誤食してしまうケースもある。鱗茎は石蒜(せきさん)という生薬名であり利尿や去痰作用があるが、有毒であるため素人が民間療法として利用するのは危険である。ちなみに、毒成分の一つであるガランタミンはアルツハイマー病の治療薬として利用されている。 ○名前に関わる話 彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。上記の飢餓植物としての面から一考する価値はあると思われる。別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。また、"天上の花"という意味も持っており、相反するものがある(仏教の経典より)。仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである(近縁種ナツズイセンの花は白い)。 『万葉集』にみえる"いちしの花"を彼岸花とする説もある。「路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」 また、毒を抜いて非常食としている事もあるので、悲願の花と言う意味もあるが一般的には危険である。異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもある。一方、欧米では園芸品種が多く開発されている。園芸品種には赤のほか白、黄色の花弁をもつものがある。日本での別名・方言は千以上が知られている。また、韓国では夏水仙のことを花と葉が同時に出ることはないから「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味で「相思華」と呼ぶのに、彼岸花も同じく花と葉が同時に出ることはないので彼岸花も相思花と呼ぶことが多い。日本では上記の「花と葉が同時に出ることはない」という理由から「葉見ず花見ず」とも言われる。学名のLycoris(リコリス)とはギリシャ神話の女神、海の精:ネレイドの一人、Lycoriasの名前からとられたもの。 ![]() ![]() ▲
by ka_zu_bon
| 2011-09-30 19:44
| 植物
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2011年 09月 30日
ハス(蓮、学名:Nelumbo nucifera)は、インド原産のハス科多年性水生植物。
○名称など 古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのを通説とする。「はす」はその転訛。 水芙蓉(すいふよう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉(ふよう)、不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をもつ。 漢字では「蓮」のほかに「荷」の字をあてる。ハスの花を指して「蓮華」(れんげ)といい、仏教とともに伝来し古くから使われた名である。 また地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)といい、野菜名として通用する。属名 Nelumbo はシンハラ語から。種小名 nucifera はラテン語の形容詞で「ナッツの実のなる」の意。 英名 lotus はギリシア語由来で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「タイガー・ロータス」 Nymphaea lotus を指したものという。7月の誕生花であり、夏の季語。 花言葉は「雄弁」。 ○特徴 原産地はインド亜大陸とその周辺。地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出す。草高は約1m、茎に通気のための穴が通っている。水面よりも高く出る葉もある(スイレンにはない)。葉は円形で葉柄が中央につき、撥水性があって水玉ができる(ロータス効果)。花期は7~8月で白またはピンク色の花を咲かせる。 早朝に咲き昼には閉じる。園芸品種も、小型のチャワンバス(茶碗で育てられるほど小型の意味)のほか、花色の異なるものなど多数ある。なお、果実の皮はとても厚く、土の中で発芽能力を長い間保持することができる。1951年(昭和26年)3月、千葉市にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘され、理学博士の大賀一郎が発芽させることに成功したハスの実は、放射性炭素年代測定により今から2000年前の弥生時代後期のものであると推定された(大賀ハス)。その他にも中尊寺の金色堂須弥壇から発見され、800年ぶりに発芽に成功した例(中尊寺ハス)や埼玉県行田市のゴミ焼却場建設予定地から、およそ1400年から3000年前のものが発芽した例(行田蓮)もある。近年の被子植物のDNA分岐系統の研究から、スイレン科のグループは被子植物の主グループから早い時期に分岐したことがわかってきた。しかしハス科はそれと違って被子植物の主グループに近いとされ、APG分類体系ではヤマモガシ目に入れられている。 ○利用 観賞用、食用として湿地で栽培される。 ・地下茎 地下茎はレンコン(蓮根)として食用になる。日本では茨城県、徳島県で多く栽培されており、中国では湖北省、安徽省、浙江省などが産地として知られている。中国では、すりつぶして取ったでん粉を葛と同様に、砂糖とともに熱湯で溶いて飲みものとする場合もある。 ・葉 葉については「蓮の葉」を参照。 ・種子 はすの実と呼ばれる果実(種子)にもでん粉が豊富であり、生食される。若い緑色の花托が生食にはよく、花托は堅牢そうな外見に反し、スポンジのようにビリビリと簡単に破れる。柔らかな皮をの中に白い蓮の実が入っている。種は緑色のドングリに似た形状で甘味と苦みがあり、生のトウモロコシに似た食感を持つ。また甘納豆や汁粉などとしても食べられる。中国や台湾では餡にして、月餅、最中などの菓子に加工されることも多い。餡にする場合苦味のある芯の部分は取り除くことが多いが、取り除いた芯の部分を集め蓮芯茶として飲まれることもある。 また、蓮肉(れんにく)という生薬として、鎮静、滋養強壮作用がある。 ・芽 果実の若芽は、果実の中心部から取り出して、茶外茶として飲用に使われる。 ・花 ハスを国花としているベトナムでは、雄しべで茶葉に香り付けしたものを花茶の一種であるハス茶として飲用する。資料によれば甘い香りが楽しめると言う。かつては茶葉を花の中に挿入し、香りを茶葉に移していた[3]。 ・茎 撥水性の葉と茎がストロー状になっている性質から、葉に酒を注いで茎から飲む象鼻杯(ぞうびはい)という習慣もある。ベトナムでは茹でてサラダのような和え物にして食べる。茎の表皮を細かく裂いて作る糸を「茄絲(かし)」、茎の内部から引き出した繊維で作る糸を「藕絲(ぐうし)」と呼び、どちらも布に織り上げる等、利用される。 ![]() ![]() ![]() ▲
by ka_zu_bon
| 2011-09-30 19:43
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2011年 09月 18日
○沿革
茨木城の築城については、よく解っていないが3説が言われている。 1.建武年間(1334年 - 1336年)に楠木正成が築いた 2.安富氏が築いた 3.福富氏が築いた ・茨木氏時代 茨木氏は文安年間(1444年 - 1449年)の『文安年中御番帳』に奉行の1人として名前が見えることから、この頃より台頭していたと思われている。また茨木城の文献上の初見は、応仁の乱に東軍の安富元綱方に属していた野田泰忠が応仁元年(1467年)5月20日、「摂州茨木之城に陣を構えた」と『野田泰忠軍忠状』から見受けられる。文明14年(1482年)に摂津で国人一揆が勃発、細川政元が鎮圧に乗り出した。まず同年6月に三宅城を攻略、ついで同年7月には茨木三郎が守る茨木城も攻略し、同年10月には吹田成枝が守る吹田城を落城させている。その後茨木長隆が勢力を拡大、細川高国と細川晴元との対立では、晴元方について高国を敗死させ(大物崩れ)、天文7年(1538年)には守護代となった。しかし、天文17年(1548年)には晴元と三好長慶が対立するにいたり、翌天文18年(1549年)の江口の戦いで敗北し、史上から名前が消えてしまったことから、この時に茨木長隆は死亡したと推察されている。茨木重朝に代が変わり、室町幕府の御家人として織田信長の摂津入国(永禄11年(1568年))に臣従し、茨木の本領を安堵された。茨木重朝は本圀寺の変や野田城・福島城の戦いで高槻城主和田惟政と共に織田信長の先兵として戦ったが、元亀2年(1571年)8月28日の白井河原の戦いで重朝・惟政と荒木村重・中川清秀の間で戦闘が勃発、重朝は惟政共々討ち取られてしまった。同年9月1日、勢いに乗った荒木軍は茨木城を攻め落とすべく進軍を開始。茨木城兵も出撃、太田郡の山で鉄砲、弓で進撃を留めようとしたが支えきれず、結局城際まで攻めのぼった。この時活躍したのが荒木軍にいた槍の名手熊田千助で外郭を打ち破り、虎口に押し寄せた。城主重朝は既に討死にしているものの、父の翫月斎やわずかな城兵が城内に残っていた。虎口付近で相当な乱戦になったようであるが、熊田千助が虎口を突破、三の丸を占領し、二の丸を守っていた者達は開城し降参した。いよいよ本丸だけになり、深夜裏切り者(新庄城勢ではないかと言われている)が出て城は炎上、落城した。この戦いで茨木方の300名以上が討死にし、茨木氏は滅びた。 ・中川氏時代 その後一旦、茨木城には村重の息子村次が入ったが、実質的な城守は中川清秀で、この時に修復と大規模な拡充を実施、天正5年(1577年)には清秀が正式に茨木城主となった。翌天正6年(1578年)に村重が織田信長に謀反をおこし(有岡城の戦い)、清秀も縁故であるということもあって村重についたが、同年10月28日に信長の調略によって茨木城を開城し織田軍に寝返った。天正10年(1582年)の本能寺の変後は豊臣秀吉に仕えていたが賤ヶ岳の戦いで戦死、天正14年(1586年)、息子の中川秀政は数々の功績が認められ、播磨三木城へ6万5000石に移封し、茨木の地は秀吉の直轄地となり、安威城の城主であった安威了佐、河尻秀長が代官として茨木城につめていたようである。 ・片桐氏時代 関ヶ原の戦いの翌慶長6年(1601年)に、片桐且元、貞隆兄弟が茨木城の城主となる。この時の状況を『茨木市史』では、片桐且元の本領は龍田城にあり、豊臣秀頼の補佐のため大坂城につめていたので、実質的には貞隆が城主ではなかったかと解説されている。慶長19年(1614年)に方広寺鐘銘事件がおき、且元は秀頼の名代として仲裁に奔走するが、淀殿に疎んじられ、徳川方の内通者と疑いをもたれ、ついに豊臣家と袂を分かつことになる。大坂夏の陣終了後、且元は4万石、貞隆は1万6400石を与えられそれぞれ竜田藩主、小泉藩主となったが、且元は慶長20年(1615年)5月27日、徳川家康の居城駿府城へ赴く途中に病死した。大坂城が落城した同年5月7日からわずか20日後のことであった。 ・廃城 江戸幕府は「一国一城令」を発布、これにより摂津では高槻城のみが残り、且元の息子片桐孝利は龍田城へ、貞隆は小泉城へ移っていった。元和2年(1616年)の茨木代官の間宮三郎、立会人の城忠兵衛のもとで茨木城は取り壊され、約200年続いた歴史に幕をおろした。 ○城郭 茨木市は京阪神地区の衛星都市で、茨木城はその茨木市の中心地にあり、宅地化され遺構らしきものは存在していない。正確な城郭は、小規模な発掘調査しかできていないため不明で、殿町、旧本丸町、佐助屋敷などの旧町名より推測され、推定地として東西220m、南北330mの範囲で大城ではなかったかと思われている。茨木神社の石垣も茨木城の石垣を移築されたと言われている。 ○所在地 茨木小学校に門が残っている ![]() ![]() ![]() ▲
by ka_zu_bon
| 2011-09-18 15:36
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